信頼に関するわたしの思い上がり
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わたしの情けない話を一つ。
自分は経営層を信頼していると思っていた。経営としての判断も噛み砕いて自分の中で納得していると思っていた。自分は会社の判断を汲みしている方の人間だと思っていた。思っていたのだけどこれはどうやら勘違いだったことに最近気づいた。あると思っていたものが急に存在しなくなっていたのではなくて、どうも目減りしていたような気がする。
きっかけ
とにかく納得いかないことが増えた。
仕事自体が複雑であることも背景にあり(複雑じゃない仕事なんかあるのか?というのはある)そういうものだよなとか思って気持ちに関しては往なしてやり過ごしていた。とにかく前に事を進めなければいけなかった。この頃自身の能力のなさを痛感することも多かった。
今思えば「不確実性が高いから先を見通すことに意味があるか?」とか「優先度が高いからしょうがない」とかそういう言葉で思考停止していたような気がする。
何が起こったか
次第に組織にとって自分は「ふさわしくない人間」であるかのように感じるようことが多くなった。この2ヶ月間に関しては完全にそう感じていた。自己効力感も感じられなくなっていたことも相まって「ここに自分がいることが組織にとって悪影響である」と感じるようになっていた。
かつて振る舞いとして正しかったと自身が感じているものについて、組織が大きくなっていっていることで変わっていたことに気づいてなかったのでは?とも考えた。そうやって仕事を行いながらも、ずっとしこりみたいなものは肥大化していった。
そうして私も転職すべき人となったと自分を納得させるようになった。
ここで一応言っておきたいが
これはわたし個人の課題だ。その証拠に↑のことを感じているのは私だけだ。組織としてのアクションについて明らかに自分だけが反応が違っていた(それがまたわたしを「ふさわしくない人間」と感じさせた)。
この1週間ぐらいのこと
自分が経営や会社の考えから遠ざかっていたのを感じた。人数が増えれば濃度が薄まるのは水で考えるとそれは本当にそうという感じがするが、自分から濃度が薄まらないように努力する必要があったのを感じる。
また今までと違った関わり方を模索する必要があるのも感じる。規模はどんどん大きくなっている。今まで上下左右見えていたものはずっと見えづらくなっている。そこでできる限り追うことをやめて信頼をあえて置いて背中をあずけていくということがもっと必要になっていた。今まで務めていた会社のMAXと比べても、組織サイズの10倍以上になっているので振る舞いに悩んで当然なんだよなと思ってる。
会社を辞めようと思うという冗談を1on1でお話していたけれど、今いる会社より自分がなにか働きかけたいと思える会社があるわけではなくて、それはつまりまだやらなきゃいけないことがあるってことだと思ってる。1on1で話した人と「逆に辞めるならなんでもできますよね」って話をしててそれは自分も考えていて気に入っている考え方だった。
冒頭の課題で会社を辞めるということはある種の壁に敗北したことと大体一緒だとも思っていて、転職したとてまた同じ壁にぶつかることになると思う。そうであれば、今の気に入っているところで信頼できる同僚と越えたほうがたぶん楽だ。
結局
冒頭に書いた経営層への信頼の話も経営層が変わったのではなくて自分が変わってしまっていた、または経営層が変わっていたのに自分が変われていなかったという話だ。経営層は考えは変わっても多分核は変わってない。そこをわたしは強く信頼している。
そもそも信頼していたとか理解していたとか理解するように努めていたみたいなものも全て自身の主観だし思い上がり甚だしいと感じる。詰まるところ元々存在していなかったものに首を絞められていたお話である。
つか納得してないなら納得作りにいけよって話で、問題なら変えればいいし、それができないならお前はその程度と認めてやってる人を支えろよっていう話で(自身のポリシー)
最後に
雑な念が祓われると周りの同僚や環境にはとても恵まれておりまだかろうじてだけどやらねばならぬことがありやっていくぞーという感じ。
以上、自分の器の小ささからくる情けなき話でした。
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