意思決定の一時的な失敗状態に対する反応について
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趣旨
メンバーとの1on1の中で、EMとして経営判断とメンバーの間にたつこともあり、大事にしたい事を話していました。その中の一つの話題としてお仕事の中にある「意思決定の一時的な失敗状態に対する反応」の一つとして「 ほれ見たことか 」について話をしたのでそれについて書きます。
これは個人的なスタンスの話でお仕事の現場でみかける「ほれ見たことか」について、考えたことや日々自分が考えているスタンスについて書いてみました。
要約
- 「ほれ見たことか」という発言はお仕事としてプラスにならないのではないか?
- 気持ちはすごくわかるし私もそう感じることはある(わかる)
- とはいえせっかくそれに気づいているのであればあなたは働きかけられる才能があり素晴らしい。チャンス。
- わかること、わからないことを明確にして、わかるを増やす活動をやっていこう
「ほれ見たことか」発言とは
お仕事をしていると意思決定をしたことが成功するか失敗するかは進んでみないとわからないところがあります。行った意思決定について「現時点では失敗」のように見える結果になった時に「ほら失敗したでしょ」とか「私は失敗すると思ってた」みたく、過去の事象を取り出して意思決定者ではない人が 評論する発言を「ほれ見たことか」発言 としてみました。
この発言に個人として感じること
すごく感覚的に気持ちはわかる。場合によって心のなかに生じてしまうところに対しては共感があります。ただ一方でそれを言葉にしてしまうことについては自分は控えるように心がけたいと思っています。
理由は主に以下の観点です
- この発言をしても何かが良くなることがなさそう
- この手の発言は人に伝染しやすい。伝染した結果「意思決定をすると揶揄されてしまう」という空気が生まれてしまうかも
- 気づいているんだったら意思決定に影響できたのでは?なにか方法はなかったか? 要約にも書いたんですが失敗することがわかってた人ってつまり「失敗を見抜いてた人」だとおもうんですよね。ということは良い方向に倒せた人なはずだなと思っていて、そうできる可能性があったがそうなってしまったという結果がある。これはもしかしたら影響ができない何らかの事情や、諦めてしまうこととかがあったのかも知れませんが「それを受け入れている」というところをみると揶揄できる立ち位置ではないのかなと思ったりします。
そもそもですが、私たちは不確実性と戦うお仕事だなと日々感じることがあり、まぁ失敗するよねというのが自分のスタンスの前提にあります。大事なのは失敗したまま終わらないということとか、小さく失敗するのは良いので学習して成功確率をあげていくということにある気がします。
そうなると取るべきスタンスとしては、気づいたタイミングで意思決定者に関与していく姿勢なのかなと思います。これに気付けるあなたは、事業の成功確率をあげることができる素晴らしい存在なはずなのです。
Try
というところで対策なのですが、
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仕事をする中では個人としてわからないことをわかるようにしていく動きが必要
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チームで取り組む事柄では
- わかっていること、わからないが検証すればわかること、何が何だか分からない事、とかを切り分けることが大事
- 何らかの意思決定をする時に、今はこの判断が正しそうでチームで踏み出す勇気と もう一方の判断を落とす時にそっちが正しかった場合のコストについて考える
ということを日々心がけなければいけないかなと思っています。
また、意思決定者も逆に
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意見を吸い上げられる状態があるか常に気にしなければいけない
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意見をないがしろにし続ける事によって「無駄」と言う空気ができてしまうことを防ぐ つまりは、意思決定プロセスの透明化を可能な限り頑張る。特にメンバーに強く影響するところを見極めて知見を吸収するというテクニックが必要かなと思います。
最後に
話がそれますが日本の現状を見てると、餅は餅屋に任せようよ。たぶん私達が想像もつかない高度な意思決定がされているはずだよ...と思うことが多く、意思決定だったりを人に委譲する思考が求められている気がします。
「ほれ見たことか」は仕事じゃないところにも非常にはびこっており、私としては本当人の悪い感情に触れないで生きていきたいので、優秀な人達におまかせしつつ、私がなにか助けになるのであれば助けていきたい...というスタンスで生きていたいと思うのでした。
今日のテーマは全体的に自戒を込めてます。
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